死んだ後は生きている人の心の中でしか生きられない

死んだ後は生きている人の心の中でしか生きられない

こんにちは、manaellです。

 

みなさんは、家族や身内といった近しい人と、どれだけ楽しい時間を共有していますか⁉︎

 

死ぬ時は思い出しか持っていけない*残せない

葬儀関連の仕事をしていた時に心底思ったことが、「死ぬ時は思い出しか持っていけない」ということです。

葬儀の仕事をして経験のある方はわかるかと思いますが、涙と笑いが多く、その方の生前の生き様がわかるほど、有り有りと思い出話しに花が咲く葬儀と、涙も笑いもなく、殺伐とした葬儀と、葬儀は2つに分かれます。

 

前者の、「涙と笑いが多く温かい葬儀」は、亡くなった方が、人との交流を大切にし、生前、旅行や食事会など人のためにお金を惜しみなく使って、人との絆を深めた方です。

そして後者の「殺伐とした葬儀」は、生前、食事会や旅行など人を誘うことなどせず、行ったとしても自分たちだけで楽しみ、ケチケチして財産を残した方の葬儀です。

 

生きている時にどれだけ楽しい事に時間を費やせ、どれだけ多くの人に幸せを分かち合えたか…、その差なのです。

楽しい時間を共有すればするほど、人は相手を好きになり、なくてはならない存在になります。

 

楽しい時間というのは、人のレベルによって様々ですので一概には、「食事や旅行をすること=楽しい時間」とは言えませんが、一般的には美味しい物を食べて、美しい景色をみて、刺激的な体験をすることが、楽しい時間といえると思います。

 

私事ですが、私の人生のモットーは「いつ死んでも悔いの残らない生き方をする」です。

なので、食べたい物を食べ、行きたいところがあったら行き、やりたいことが出来たら、すぐに始めます。

ただ、あまり欲がないのか、行きたいところとやりたいことが、なかなかないのが現状です。

 

私のこの考え方は、私が小学生の時に始まります。

小学生の時に2度危ない目に遭いました。

1つ目は、湖で調子にのり沖まで行ってしまい、溺れかける。

2つ目は、規定の身長に届かないのに1回転のジェットコースターに乗り、嬉しくてガチャガチャとロック板を動かしていたらロックがかかっておらず、1回転の真上でロックされているはずの安全装置が外れ、身体が一瞬宙に浮き、となりに乗っていた姉がとっさに手を伸ばして安全装置を手で下に降ろして押さえてくれたので、落下せずに一命を取り止める。

そんなことがあったせいか、人の死についてよく考える小学生でした。

「死んだらどこに行くんだろう」それが、寝る前に思う課題でした。

 

そして、小学生の時に辿り着いた答えが、「自分と同じ物体が、地球外のどこか、宇宙のどこかにいる」というものでした。(それが正しいと確信したのはついここ数年前のことですが…。正しくは、どこにでも存在し、どこにも存在しないという、説明が難しいものです。)

とにかく、ケチケチして自分の私利私欲だけにお金を使い、楽しみを他の人と分かち合わなかった人は死後、誰の心にも残らないという事実です。

その人への情がないのに、お金ばかり残っていると、間違いなく骨肉の争いになります。これは、経験上100%の現実です。

 

死んだ後は生きている人の心の中で生き続ける

さて、あなたは死んだ後、自分が生きた証はどのようにして残せると思いますか⁉︎

歴史に残るような偉業を成し遂げた人物を除いては、人が死んだ後は、自分を知っている人の心の中でしか生きることができないんです。

 

例えば、自分の子供や孫、友人たちが、生前のあなたのことを思い出し、話してくれている時、あなたがこの世に存在していた証となるのです。

この世に存在する物はいずれ朽ちてなくなります

どんなに立派な家を建てようと、高級車を残そうと、現金を残そうと、100%必ず朽ちていきます。

 

でも、人の思い出はどうでしょう?

私には学生の頃からの親友が2人いますが、卒業から○十年経った今でも、逢うと、当時の頃に気持ちが戻ります。

心の中では、どんなに昔のことでも印象が深ければ深いほど、たった今の出来事のように、有り有りと覚えているのです。

心の中には時間がありません。

なので、自分の身体は朽ちたとしても、人の心に強烈な存在感を残せた場合、自分が死んだ後も、生きている人の心の中で生き続けることができるのです。

 

自分の葬儀を想像してみて下さい。

あなたは、涙と笑いの多く、愛の溢れる温かい葬儀がいいですか⁉︎

それとも、自分の身内がみんな金に目がくらみ、訴訟ごとや、相手の批判・悪口で、殺伐とした葬儀がいいですか⁉︎

 

私は温かい葬儀がいいです。

なので、お金は自分のことだけに使わず、人のために使っています。食事や旅行に行くとなれば、自分の家族、子供たちの家族、親・兄弟、時には子供の友達も引き連れ、なるべく多くの人に声をかけて民族移動レベルで出かけます。

そして、楽しく最高の時間を、より多くの人と共有します。

みんなの笑顔をみている時が至福の時間です。

外食ならば、週に1,2回ペースで、旅行は年に1,2回のペースでやっているので、おそらく、ケチケチしてる人だったら、家がもう1棟は建っていると思います。

 

でもでも、そこは私の信念で、惜しみなく太っ腹に、いつ死んでも悔いのない毎日を過ごし続けております( ̄^ ̄)ゞ

思い出は一生の宝物↓H.I.S.

 

本当に大切な物

自分も含めてそうですが、世の中、お金と時間に振り回されている人があまりにも多いと思います。

いずれは無になってしまう物のために…、本当に大切にしなければならない家族の時間や、その時しか経験出来ない子育ての時間などを犠牲にしている人がとても多いように思えます。

 

「何言ってんだよ!子育てにはお金がかかるし、家族の幸せのために、昼も夜も頑張ってるんだよ!」という方は沢山いるでしょう。

でも、子供が1歳の時は今この時しかないし、3歳の時も4歳の時も…、今この瞬間は2度と取り戻せない世界で1番大切な時間なんです。

 

お金は幸せになるための道具です。道具を得るために、本当に大切なものをないがしろにしていては、いつまでたっても、堂々巡りで、幸せな日々はやってきません。

少し立ち止まって、隣にいる我が子の笑顔をみて下さい。家族の会話を楽しんでください。

きっと、今が最高に幸せだということがわかると思います。

子供にとっては、高級車に乗るより、良い家に住むより何より、お父さんお母さんと近くの公園で遊んだことの方が、大人になってからも記憶に残るんです。

 

「自分が生きた証は残された人の心の中にしか残せない」ということを今一度考えて、本当の意味で充実した豊かな人生を歩んで下さいね!

私も今までと変わらず、「いつ死んでも悔いの残らない生き方」をモットーに、これからも、より多くの喜びを大切な人たちと共有できるように、そのために、仕事を頑張っていきたいと思います🎶